戦後首都圏研究会(旧称小研究会「首都圏形成と地域政治」)の趣旨
戦後首都圏研究会(旧称小研究会「首都圏形成と地域政治」)呼びかけ文
首都圏形成史研究会は、「首都」「首都圏」なる広域的空間の形成過程を、中央権力と地域社会の双方から実証的に検証することを目的とし、その成果を『首都圏史叢書』などで発表してきた。なかでも、地域政治に関わる問題は、『地域政治と近代日本(叢書①)』『「大東京」空間の政治史(叢書④)』『近代都市の装置と統治(叢書⑦)』の刊行に見られる通り、本研究会が持続的に関心を注いで来た分野である。
この小研究会が対象とするテーマは、関東地方の諸地域が名実ともに「首都圏」なる巨大な空間へと再編成される過程で、最も大きな変化を遂げる1950~1980年代の地域政治である。首都圏形成史研究会では、これまで戦前~占領期までを主対象としており、高度経済成長以後は必ずしも本格的に扱ってこなかった。しかし近年の自治体史編纂事業での『現代編』の相次ぐ刊行や、各地の文書館・資料館の新設、占領期以降の戦後政治史研究の進展などによって、当該期の研究を行う条件は次第に整いつつある。
では高度経済成長期以後の首都圏の地域政治の問題として、いかなる問題群が挙げられるだろうか。
まずは1956年に制定された首都圏整備法を軸とした中央―地方関係が挙げられる。同法は、関東地方1都7県を対象とし、首都の過大都市化を抑制すべく、人口と産業を適正に配置することを目的とした。首都圏整備計画の具体化は、圏内各地域の開発意欲を刺激し、県や市町レベルの総合計画等が策定され、両者があいまって地域社会の変貌をもたらした。
すなわち、都市基盤や産業基盤の整備、それらを支える交通・流通網の拡充やエネルギー・水資源の供給体制の構築、さらには東京オリンピックなど、この時期の首都圏には他地域よりも遥かに多くの高度経済成長を支えるための開発のモメントが存在し、地域社会はそれらを受容する過程で様々な矛盾・問題と直面しつつ、新たな都市政策や社会関係を生み出していった。
さらに国政レベルでは55年体制が確立し、「昭和の大合併」により全国的な市町村の統合が行われたが、首都圏の地域政治では保守・革新勢力の再編成は進まず、多元的な政治状況が持続していた。こうしたなか、1950年代半ばから1970年代初頭にかけて革新系の首長が登場し、福祉や教育・環境などの政策の重要性を訴え、自民党政権と対峙する状況が生まれた。しかし1970年代後半に入ると、共産党を除く保革相乗りの首長により、政府の民活方針と連動しながら都市再開発が進められる。このような全国的な政治的潮流と首都圏の各地域の都市づくりがどのように関連するのかは、興味深いテーマである。
この研究会では、以上のような高度経済成長期における首都圏の整備過程と地域社会の動向を個別具体的に研究し、その際に、各地域間の競合・連携を含んだ横断的関係にも注意を払いながら、個別事例に集積にとどまらない、俯瞰的な「首都圏」像を追求していきたい。戦後の首都圏形成と地域政治に関心を持つ人々の参加を期待したい。
発起人 大西比呂志・手塚雄太・松本洋幸